2012年8月27日月曜日

ドラマティック・コンビニ

 シーン1:駐車場
 夫婦が車内で怒鳴り合い、途中からわざわざ車を降りて罵り合い。奥さん、旦那を思いっきり平手打ち。同乗してた子供号泣。

 シーン2:店内
 そんな修羅場を横目に店内へ。ハーゲンダッツのアイスクリームを買い、自分の車に乗り込んで開けてみたところ、中蓋(フィルム)がはじめから剥がされていた。すぐに戻って交換してもらう。

 シーン3:駐車場2
 車外では依然罵声止まぬ中、アイスにありついていると、志村けんのバァさんコントみたいな老女の運転する車が、駐車しようとして隣の車に勢いよくドカン。

 何だか恐ろしくなってすぐに発車、逃げるように帰った。カオスだった!

2012年8月20日月曜日

自転車泥棒

 こんなニュース。
 75歳の男性が、24年前に別れた妻子に会いたくなり、自転車を窃盗。岡山から奈良まで4日を費やし到着するも再会は果たせず。あえなく窃盗で逮捕、実名報道。

 あれ? 以前似たようなニュースについて書いたような…。うん、これでした。

 またしても同じ疑問なんだけど、これで実名報道はどうなんだろうっていうね。ドラマ性が強いから、話題の種として取り上げられるのは分かる。でも、実名かぁ。

 窃盗はダメ。当然罰せられ、社会的制裁を受けて然るべき。動機として、老い先も過ったであろうこの男性には同情を禁じ得ないけど、でも自転車泥棒は許されない。実際問題、もっと厳罰化されてもいいとさえ思います。
 …にしてもよ、何だろうこの不公平感。

 犯罪を犯した者は押し並べて、罪状も立場も関係なく実名報道されてるってんなら納得出来るんだけどなぁ。難しいもんだね。

 このおじさんに、幸ありますように。そう思ったっていいよね。

2012年8月18日土曜日

味覚音痴

 くだらない話。

 「味覚音痴」「味音痴」という言葉に引っかかって仕方ないのだ。
 音に対して痴(おこ)であるから「音痴」。では、味覚について痴であるとするなら、そりゃ「味痴」じゃないのか? という、重箱の隅つつき的お話。

 そもそもだ。世界共通の絶対値が、様々な形があるとは言え、キッチリ定められている「音階(musical scale)」、それをうまく捉えられないという意味での「音痴」。それに対して味覚は、よく語られるように、完全に相対的なものだ。「幸せの基準」みたいな話と同じで、人によって、また文化によって全く感性の違うものだから、もとより「味の痴」ってのは、揶揄的に使う言葉としてまずありえないんじゃないか。
 「えっ、この美味さがなんで分かんないの?」なんてのは価値観のなすり付けでしかなく、その差異をもって「味の痴」だと断定するのは、自分のカルトに入信しない人間を勝手に哀れむようなアレな思考と同じなのだ。ってのがまず。

 より深刻な言葉として、「味覚障害」なら分かる。例えば大多数の人が辛いと思うものを甘いと感じるのだとしたら、それは生きて行く上で障害ともなりえるし、言葉として当然存在すべきものだろう。だが「味覚(味)音痴」の存在価値といったらどうだ。

 百歩譲って、どうしても「音痴」という、万人に分かりやすいイメージを持った響きを取り入れて表現したいのなら、せめて意識的に「味覚オンチ」とでもすべきだろう。カタカナ化の持つ安易な記号性を活かすやり方なら、アリなのかも知れない。モヤるケド理解は出来ル。

 さてこんなよく分からない言葉が生まれてしまった背景にあるのが、「味覚音痴」より古くからあったと思われる「運動音痴」という言葉の存在であろうことは、誰でも容易に想像がつく。

 「運動音痴」が生まれた時にも、おそらく多くの人が心の中で「『音痴』関係なくね?」と突っ込んだことだろう。だが共通了解は覆らなかった。運動のウンと痴を繋げて称するには、あまりにも響きが絶望的であり、それで彼らは閉口してしまった。「運」でなくて「動」の痴、と定義すれば…あるいは素直に「運動痴」とでもすれば、嗚呼何の負の遺産も残さずに済んだのにだ。
 ここで「音痴」を看過し、のちに「味覚音痴」なんてねじくれた言葉を生む下地を作ってしまった彼らの罪は根深い。
 いま私が望むのは、一体私は何を言っているのか誰か解説して欲しい、その一点である。

2012年8月17日金曜日

『音楽を始めたきっかけを教えて下さい』

(THE INTERVIEWSより)

 「音楽を始めたきっかけ」というのはこの場合、若かりし頃、楽器(ギター)を始めたきっかけ…みたいな意味合いで大丈夫でしょうか。では、それを前提に。
 大半が思い出話になりそうですから、適当に読み流して下さい。
 
 小学生の頃は、兄貴が買い集めていた歌謡曲のレコードをなんとなく聴いていた僕ですが、中学に入って急に、洋楽に目覚めたんですね。「日本の音楽なんてダッセェ!」てなもんで、ある時期から突然。

 時は80年代後半。ラジオ・TV・雑誌からの、今日とは比べ物にならないほど少ない情報源を漁っては、カセットテープやビデオ、そしてなけなしの小遣いで買った黎明期のCDを、繰り返し爆音で再生する日々でした。

 初めのうちこそヒットチャートに昇る曲やアーティスト、所謂ポップミュージックを追いかけていたものの、そこは中学生。より刺激のある音楽を求めて、また、周囲の数少ない洋楽好き友達の影響もあって、少しずつハードなロック音楽に傾倒して行きます。(この趣向は後にエスカレートし、スラッシュ、はたまたデス系メタルを好んで聴くまでに至るのですが…そういった話はまた、別の機会に。)

 そんな日々の中で、ロック好きな友人の一人が、ドラマーとして参加しているバンドでライブハウスのステージに立つと言うじゃありませんか。チケット買って見に来てくれないかという、例のパターンです。
 彼がドラムやってるなんて全然聞いたことがなくて、それも驚いたんですが、それ以上に、自分の年齢の人間がバンドなんかやっちゃうんだ、やっていいんだ、っていうのがカルチャーショックでしたね。

 何て言うかこう、ピアノなんかもそうなんですが、楽器を演奏するような人間は、自分とは違う世界を生きてるし、これからも自分はそことは乖離した世界を生きて行くんだみたいな、漠然としたイメージを持っていたと思うんです、それまでは。ほとんど何の音楽的バックグラウンドもない、本当にただの田舎の中学生でしたからね。

 まぁバンドったって所詮は子供(自分もですが)、きっと大したことないんだろうなんて思いつつ足を運んだライブ。思えばいわゆるライブハウスに足を踏み入れたのも、この時が初めてでした。

 驚きました。今にしてみれば、「それなりの」演奏だったに違いありません。でも当時の自分には、彼らが爆音で奏でるモトリークルーやポイズンの曲が、メチャクチャ整然と、音楽として響いて来たのでした。

 妙な焦燥感に襲われたのをよく覚えています。自分にも何か出来るんじゃないか。今まで考えたこともなかったけど、聴く側じゃなくて演る側・作る側に回るのって、意外と簡単なことなんじゃないか。そう思ったのがきっかけです。同級生の彼が、乖離した世界との壁を、その日一気に溶かしてくれたのでした。

 さて、楽器なんてろくに触ったことのない自分に何がやれるだろう。分からん。ロックバンドの花形はギターか。じゃあそれ。
 数日後には、ギターの教則雑誌を買い、家の物置に眠っていた古いフォークギターをつまびく自分がいました。ネックは反ってるし弦はサビまくり。親父が少しかじっただけで長年放置されていたそんなオンボロを、ピック代わりの10円玉で掻き鳴らす。それがスタートでした。

 しばらくして、念願のエレキを購入。少しずつのめり込んで行くことになります。ただ、そこからバンド活動に明け暮れるのかと言うと、そういうタイプでもなかったんですね。

 その辺りやそれ以降のお話はまた、別の機会がもしあればということで。ありがとうございました。

『今の仕事をしていなかったら、どんな仕事を?』


(THE INTERVIEWSより)

 どうやら、ひたすら何かを創作するのが性に合っているようなので、たぶんそれが可能な他の職に就いていたのでは…と、まぁこれは希望的観測。
 ミュージシャンになる以前には、新卒で営業の仕事を少しの間していましたんで、そのまま何らかの営業職をしていた可能性はありますね、現実的には。それが向いているかどうかは別にして。(たぶん向いてません)

『好きな鍋料理』


(THE INTERVIEWSより)

 どこかで話しましたが、僕は鍋料理があまり得意ではないのです。
 もちろん種類によりますが、基本的に鍋料理って「クタクタに煮たもの」を「ずっと食う」じゃないですか? あの感じがどうもねぇ…(笑) 飽きちゃうんですかね。
 打ち上げ会場の食事が鍋メインだったりすると、ちょっとだけ残念な気持ちになったりします(笑)。
 鍋料理と言えるかどうか分かりませんが、スキヤキは大好きです。

『休みの日は何してますか?』


(THE INTERVIEWSより)

 休みの日…何してんだろう? 普通に買い物とかですかね。普段は仕事部屋に篭りっぱなしなので、なるべく外に出ようとは思っています。


 僕と同じような仕事をしてる人は皆似たような感じかも知れませんが、オン/オフの切り替えが意外と難しくて(ヘタで)、「今日は休もう」と決めても、ダラダラと時間を過ごしてしまったりしがちです。気が付くと頭のどこかで、無理矢理曲作りに繋がるアイデアを練ろうとしてる。そんなアイデア、そうそう出やしないのに。
 強迫観念ってヤツですね。

 仕事を忘れて大ハマリ出来るような趣味を模索しています。いつも。休日の外出は、それを探す旅って感じかな。

2012年8月16日木曜日

転載

 ブログにツイッター、ザ・インタビューズなど、今更ながらあちこちに手を広げ過ぎた感があるので、このたび「ザ・インタビューズ」についてはやめることにしました。
 そもそもさほど回答出来ていませんでしたが、消すのもナンだなという記事だけ、2〜3こちらに転載しようと思います。
 また、溜まっていた質問の中で、これはいつか書きたいなと思っていたものだけ、今後ぼちぼち書いて行こうと思います。自己満足ですが(笑)どうぞお付き合い下さいませ。
 

2012年8月14日火曜日

エントリー

 東京マラソン2013に申し込みました。もちろんフルで。

 ちょっと調べた所、前大会の応募総数は28万人超、当選倍率は実に9.6倍にも上ったそうで…どこの富くじだよって感じですね。今年はきっと、もっと上回るんでしょう。

 2008にラッキー出場して以降4回落選し続けてる俺、今回もハズレ大前提ですが、それでも10月の抽選結果を楽しみに待っときます。

 本当は友人知人も誘いたい所なんですけどね。まぁこればっかりは何とも。

2012年8月13日月曜日

動機

 あくまで俺の経験則ですけども、ブログを積極的に書こうと思う時期なんてのは、往々にしてろくな心理状態じゃなかったりするわけです。

 極端に言えば、しょせん個人のブログなんてのは自慢話(やそれに類する自己顕示)、またはグチ。そのどっちかなんですよね。いや、大げさに言うとですよ。

 それをわざわざ書き記して、誰かに読んで欲しいなんて望むわけですから…望んでるんですよ、公開してる以上は…それが不健全とまでは言えないまでも、まぁね、極論、進んで醜態を晒してるとも言えるんですよね。

 だから何だって話ですが。えーと、みんな寂しいんだな、虚しいんだって。かまってちゃんは俺だけじゃないんだなって。そうして皆同じなんだと思い込むことで、自分も確かに世界の一員なんだ、繋がってないけど繋がってるんだと感じたい心理。ろくなもんじゃありません。

 …暗い!

2012年8月8日水曜日

WORKS

 賑やかしに、旧ブログより「最近のお仕事」を華麗にコピペ。

■SMAP■ 8/8発売al.「GIFT of SMAP」
 M-4「HIKARI」(作詞・作曲・編曲)
SMAPには初めて曲提供させて頂きました。

■TOKIO■ 8/22発売al.「17」
 M-11「The Course of Life」(編曲)
 太一くん作詞作曲の作品を編曲させて頂きました。

 良かったらぜひチェックしてみて下さい! 
 拙ブログをご覧下さってる方ならではのマニアックな御感想もお待ちしています(笑)。どうもありがとうございます。


移転

 旧ブログ(http://d.hatena.ne.jp/hikariqwerty/)から、このたびこちらに引っ越して参りました。

 新ブログで心機一転、精力的に更新します! とか言うのは絶対に嘘になるので(笑)相変わらずマイペースにやって行こうと思いますが、良かったらたまに覗いてやって下さい。引き続き、どうぞよろしくお願いします。

 しばらくはログがなくて寂しい感じですね。